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ムームーサーバー
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<ストーリー>
最近起きた怪奇の犯人の呪詛師を捕まえて解決する虎杖・伏黒・釘崎。
虎杖は呪詛師の犯人を見ながら五条先生との会話を思い出し、犯人に励ましの言葉をかける虎杖。
場面は変わり、真人と会話をする宿儺。
宿儺は復習の人生とは異なる生き方をすることができた。
きっかけは二度あった。
だが、自らの呪いに焼き殺されることを恐れて今回のような生き方になったのだ。
次があれば生き方を変えるのもありだと言って、裏梅とともにどこかへ消えていく宿儺。
終わり。
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<感想・分析>
完全に幽白オマージュですね。
少し余韻を残しているのはエヴァっぽい。
まあ大分力も抜けていたのだろう。
パースも適当になっている。
伏黒が窓からベランダに出る場面は、普通に見たらマンションの窓から断崖絶壁に落ちようとしている様にしか見えない。
謎の部分は今後の小説やメディアミックス・スピンオフで語られる余地を残しておいているのだろう。
だが、今回の最終回で最も重要なのはそこではない。
今回明確に判明したことは、作品の出来不出来ではなく読者の読解レベルの低下である。
ネットで盛んに今回の最終回の考察が行われているが、多くの人がほとんどまともな読解力を持っていないことが判明してしまった。
該当部分としては、宿儺の背後に現れた2人(1人は裏梅)の内の片方を巡って、やれ羂索だ、いや天元だ、と主張が紛糾している中で、それに付随して「きっかけは二度あった」という文言に関して多くの人が、以下の様に解釈してしまっている。
(文章は一部改変)
・「宿儺の言う二つの選択とは、裏梅と過ごすのではなく、羂索と契約して復讐する道を選んだということ」
・「裏梅側につき呪いになるのか、天使側につき呪術師になるのかという選択で裏梅側を選んだから天使から堕天と呼ばれた」
上記をまとめるとこうなる。
「裏梅ではなくもう一人を選んだから、呪いになった」
もしくは
「もう一人ではなく裏梅を選んだから呪いになった」
いやいやいやいや、違うでしょ。
宿儺のセリフは、
「…違う生き方を選ぶこともできた。」「きっかけは二度あった」
なんだから、どう読んでも、「宿儺が違う生き方を選ぶことができたきっかけは二度あった」である。
呪いとしてではない道を選ぶきっかけが、1度目は巫女姿の女であり、2度目が裏梅だったのだ。
にもかかわらず、宿儺は人間として生きるどちらのきっかけも選ばずに、呪いとして生きる道を選んだ。
だからこうなった、と言っているのだ。
それを書かれてもいないのに、「きっかけは二度あった」という文言のみを見て勝手に「選択肢」として読み替えて全く頓珍漢な解釈をしてしまっている人が多数である。
げに恐ろしい。
まあ多くの読者がそのうように勘違いした理由は分かる。
恐らく絵で二股に分かれているのを見て、「きっかけ」を無意識的に「選択肢」として認識してしまったのだろう。
まあこの辺は、誤解を生む描写にしている作者も悪いが(というか作者の描写の力不足だが)。
だが、
それを差し置いても、前後の文章を勘案して「「きっかけは二度あった」」という文言を読み取れないのは中々厳しい所だ。
ネット界隈で機能性非識字がネタとして出されることは多いが、こういう光景を目にすると冗談では済まされなくなってきていると思う。
日本の義務教育の敗北を感じさせる絶望的な瞬間を垣間見た。
呪術廻戦の最終回がまさか日本の義務教育の敗北を知らしめることになるとは夢にも思わなかった。
これも芥見下々が図らずも社会に伝えたことの1つであろう。
ということで、連載お疲れ様である。
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