需要があるかどうかわからんので、とりあえず閲覧数が1000いったら続きを書く。
願いのアストロを追っている中で、和久井健が実はジャンプ向きだと思ったと書いたが、その理由を「東京卍リベンジャーズ」の感想を書いていく中で示していく。
まず「東京卍リベンジャーズ」に関して一言で言い表しておくと、
「マガジン誌でジャンプのモットーを主張して、世界展開を狙う「凄み」の痛快作」
であると認識しているのだが、こう思う理由も書きもしくは後々記述していく。
個人的には本作は序盤中盤終盤と話の流れが複数に分かれているのでそれに沿って感想や思ったことを書く。
今回は序盤である。
<感想>
序盤…30話あたりまで。
不良の世界を舞台にした、サスペンスとタイムリープを絶妙に織り交ぜられている。
話的にはよくある不良設定であるがどうも古臭い感が否めない。
「根性だけは諦めない!」、「俺らは悪だけど女には手を出さない」、「俺たちが最強!俺らが新しい時代を創る!」といったセリフ一つ一つが、花垣武道の幼少期である2005年ではなく、更に30年遡った1975年位の不良たちの古き良き群像劇を見てる感じ。
小さな頃から世話してくれる幼馴染というステロタイプ的純愛も当然の如く登場。
なんか様式美が整いすぎて、ちょっと寅さんを見てる感さえある。
映画「東京リベンジャーズ」のCMでも出てきたおなじみの台詞、「〇〇だとおもってるやついる?いねえよなあー」もこの序盤あたりで拝聴できる。
不良のカリスマ感出てるわー、いや、いい意味でね。
序盤は比較的現実の世界観とは乖離せず進んでいくが、その中でも登場人物の強さを際立たせるために、日本の日常世界でははところどころあり得ない要素が詰め込まれていく。
例えばドラケンの
蒸発した母親が風俗嬢だったので渋谷のヘルスのお店の一室が家とか。
小学生で頭に刺青とか。
(日本国内では18歳未満の刺青は条例で禁止されており、違反が露見した際は施術した彫り師の逮捕及び当該店舗は営業禁止の処分を受ける。)
マイキーとドラケンの日常とかが描かれている回を冷静に見ると、佐野万次郎ってADHDとか発達障害の一種なのではとおもってしまう。
あとドラケンの手を後ろでに組んで90度に腰曲げる謝罪。
これ今後も登場してくるけど、繰り返されすぎて、天丼で何か徐々にギャグぽくなってくるのだが、その辺もジワる。
日本漫画の特徴の伝統である、無条件で自分を受け入れてくれる母親的彼女もヒナという形で出てくる。
お祭りの辺りから物語の重要場面になってきたため、筆が乗ってきたのか随所にオマージュが入ってくる。
・キヨマサとたけみっちのドラえもんオマージュ喧嘩シーン。
・危機に陥った時の溝中5人衆とかいう桜木軍団スラムダンクオマージュ。
・マイキーと半間の立ち尽くしのドン!効果音というワンピースリスペクト。
ここまで見て思うのだが、ドラケンだけじゃなしに物語全てに両親や大人の存在の希薄さを感じさせる何かがある。
やっぱねー1970年代感がぬぐえない。
何か熱い気持ちを出し合うダサい不良像をあえて描いているように見える。
まあそのテイストだけだと古臭いので、それをカバーするようにタイムリープサスペンスを並行させることで人気を保つ。
流石である。
ドラケンを救って現在に変えることで序盤は終了するが、ここで物語が解決しないことから中盤へと話が展開していく。
中盤に関してはまた後日に。
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「アンチふるさと納税」論者こそまさしく「ふるさと納税エアプ」の証左である。
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