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あかね噺について(第113話・ネタバレあり)

<ストーリー>
前回、面白いくすぐりから急に恐怖話みたいに噺の雰囲気を変えるマイケル。
あかねが「初めて見る、こんなにもシリアスなマイケル兄さんは」という風に行く。
控え室でメガネが、「ようやく本筋に入ってきた」、「歌にギャグなど散々入れ事して膨らましてるが、この噺の演目は人情噺である」という旨を言う。
人情噺は文字通り人間ドラマを語る「感動」の芸、というナレーション。

片目目隠しが、「実はマイケル兄さんは元々バリバリの技巧派だったんだよ、天才的なレベルの(技巧派)ね」と前回の冷え冷えの客前でみんなが心配しているにもかかわらず、全く触れなかった後付けを急にかます。
「ただマイケル兄さんは変わったんだ、あの一件から」といって回想に入る。
ここでマイケルの過去に入る知。
よう分からんけど、描写から推察するに兄弟子が死んで自分が一番弟子になったので、それ以降は一門のことを考えて自分のことは先に置いて、弟や周りを気にかける日々を過ごしていたようた。
話は現代に戻る。
師匠が「もう十分だ」「今こそ己の芸に徹する時」とマイケルに心の内で語り掛ける。
正にマイケルの真の力が明かされようとする。
マイケルが思う、「本当の勝負はここから。成りますよ真打。兄貴が得意だった人情噺で」というところで終わり。

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<分析>
ライブ感がすごい。
ただマンガの設定としては、話の展開に限りなく無理が生じている。
そもそも昇進をかけた高座で掛ける噺の演目が人情噺であるということを事前に知らない落語家がいるのか(しかも仲間内で)。
百歩譲って仲間内が知らずとも、事前に客席を冷え冷えにした大御所っぽい天パがマイケルが掛けている演目が人情噺であると分からないはずがない。
故に、マイケルが噺の演目が「たちきり」と分かった瞬間に、「ほお…」みたいなリアクションを取らずに、「お前の落語じゃあ客席は笑わないよ、だから真打は封じた」みたいにあざける様な評したことには矛盾が生ずる。

しかし、上述したように漫画としての臨場感やライブ感がひしひしと伝わってくる。

恐らくこの漫画は連載のどこかで、落語にプライオリティーを置くのではなく、その時々の話の盛り上がりを大事にするタイプ(人気の兼ね合いで)へと変貌したのだろう。

分かり易く言うと、落語を舞台としたバトル漫画(ジャンプ製)である。
「ヒカルの碁」とか「遊戯王」に近い感覚で見てあげるとしっくりくるのではないか。
バトル漫画なので、すくなくとも今の「あかね噺」は落語好きに向けてというより、落語を知らない人たちに向けて描いているのだろう。

長期連載に必須な「回毎ではおもしろいが展開は遅々として進まない」という要素も見事に表現している。

総合すると、落語の漫画としてみると設定が崩れており0点だが、ジャンプ漫画としてみると100点である。
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ムームーサーバー


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