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「あかね噺」について(第122話・ネタバレあり)

https://px.a8.net/svt/ejp?a8mat=3Z4NUU+2GPLWY+348+1C8R5E
https://www.oninkun.com/back-issues-of-akane-banashi
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前話までの感想はこちら↑↑↑↑↑↑↑
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<ストーリー>

あかねの落語は盛り上がった。
次は本番の志ぐまの落語である。
という所で終わり。
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<感想・分析>
落語はつまらないが、構成力や表現力は本当に上手い。
だが、残念ながらおもしろいのは漫画で落語ではないのだ。
落語を面白くすることは全くできていない。

これは作者のせいではなく、落語のせいなのだ。
つまらない話を面白くすることはできない。
狂言や能・歌舞伎が笑えないのと一緒である。

漫画の中でさえ、志ぐまの出番になると客席がピリついている。
立川談志を意識しているのかもしれないが、それをありがたがる客も客である。
笑いに格式を求めているのだろうが、やはりそれは現代の笑いとは異なる。
緊張の緩和という笑いの基礎理論もあるのは分かるが、現代の笑いはの軽やかな笑いであって、誹謗中傷の格式を求める笑とは異なるのだ。

そういった意味で落語の笑い噺はやはり「笑えない」のだ。


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