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「極東ネクロマンス 」について(第10話・ネタバレあり)

https://px.a8.net/svt/ejp?a8mat=3Z4NUU+2GPLWY+348+1C8R5E
https://www.oninkun.com/back-issues-of-kyokuto-necromance
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前話までの感想はこちら↑↑↑↑↑↑↑
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<ストーリー>

殺し屋を前に「私はお前の中に在る」という内なる声(声の主はシシ)が坊主に聞こえる。

覚醒した坊主には敵の動きが「?すごくゆっくり見える」と戸惑う。
・ジョジョやん。
殺し屋が坊主を殺しにかかるときも敵がゆっくり動くので華麗に捌ける。

「どうして」「どうして…」「どうして…なんだ?」「どうして…なんだ?」
「どうして」4連発の自問自答をしながら、敵をさばき続ける。
そしてオラオラよろしく、「ドドドドドド」と敵をぶん殴りまくる。
・ジョジョである。

・同時に作者の作者の心の叫びでもある。
詳細は<感想・分析>内の※1にて後述。

殺し屋にとどめを刺そうとしたところで、力尽きる坊主。
殺し屋が「能力に心身がついてきていないな」と言っているが、正に作者自身に当てはまる内容である。

その後、サブカルと先々週に出てきたネクロマンサーが河原に行くと、翠が倒れていた。
坊主が誰かに連れていかれた旨を翠が話すと、サブカルが怒りに満ちた顔で「俺の責任だ、すまん」と一言。
・キャラの掘り下げ不足の露呈と共に、作者の心の声がここでも爆発している。
詳細は<感想・分析>内の※2にて後述


3時間後、かつての仲間集めをしていたサブカルの下へ「いの一番」で駆けつけてくれた男がいた。
梵万尊(そよぎ まんそん)。
とりあえず2人でブッ殺す、というところで終わり。

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<感想・分析>

「極東ネクロマンサー」の直近のJUMPの掲載順は、
先々週(29号)…ドべ3(実質ドべ1)
先週  (30号)…ドべ1
今週  (31号)…ドべ2
である。

また先週から極端に絵の雑さが目立ち、戦闘描写も大ゴマが増えた。

上記のような要素から察するに近い内での打ち切りが決定したと思われる。
そういった状況と照らし合わせて今話を見てみると、以下の描写2点に作者が思いが託されているように感じた。

※1「どうして」4連発の場面。
・この場面の表のセリフ(声)はこうである。
「どうしてこの人は平気で人にナイフを振れるんだ」
「どうしてこんなに人を殺すことに必死になれるんだ?」
「どうして翠が切り付けられなきゃいけないんだ?」
「どうして、どうして、どうして関係ない人を平気で攻撃するんだ!!」

・一方「どうして」4連発の真の(作者の)セリフ(声)はこうである。
「どうして自分の作品が打ち切りなんだ」
「どうして自分の作品が人気が無いんだ?」
「どうして自分の作品を悪く言うんだ?」
「どうして、どうして、どうして関係ない人を平気で攻撃するんだ!!」

これはもはや、己の作品の打ち切りという仕打ちと批評に対する不満にしか聞こえない。
ご覧の通り、最後の「どうして関係ない人を平気で攻撃するんだ!!」というセリフが作者の最も主張したい内容だあろう。
殺し屋をボコボコに殴っている場面は、作品(作者)への芳しくない批評に対する漫画内での憂さ晴らしである。

こう解釈した理由は以下である。
作内設定では、坊主が覚醒したのは「訓練をつけてくれて命懸けで守ってくれた、ただその恩を返すだけだ」という思いがあった。
にもかかわらず、殺し屋と戦う際には「どうして人を傷つけられるんだ」と急に相手に対する思いを口にし始める。
「恩返し」を考えているのならば、翠が無事にこの場を脱せられる様に頭の中で自問自答し、そのように立ち居振る舞いをするのが普通のはずだが、坊主は敵に対する自己の考えを突如独白し、あまつさえ後先考えずに殴り続ける。

殺し屋に対する思いを口にしたり、ひたすら敵を殴り続けることは、この場面において必然なのだろうか。
むしろ不自然ではないだろうか?
坊主の行動原理や作中の動線を勘案しても不自然極まりないと私は思う。
そう考えていくと、この場面は明らかに作品の不当な評価に対する作者なりの抗議が溢れ出てしまった形と見做される。
少なくとも上述の様に解釈されても文句は言えない程不自然な描写である。


※2坊主が殺し屋にさらわれたことを知り、サブカルが謝る場面。
まずここでは、作者の心の声の話をする前にキャラクターの作り込みの甘さを再度指摘しておきたい。

8話で指摘した通り、サブカルの無計画さが大爆発している。
結局坊主がさらわれるって…。

ネクロマンサーとは人々に害をなす死霊を死霊の力でもって駆除をして人々の命を守る仕事のはずであり、サブカルのネクロマンサーとしての腕はピカイチという設定だった。
人の命を預かる仕事に就き、その中で一流の職業人であるはずの者が、この様な無計画な発想・行動の軽率さを見せた挙句、守るはずの対象をさらわれる体たらくとは…。
本来の作中のキャラクター設定とあまりにも矛盾が生じ過ぎている。
キャラクターも設定も作り込みが甘すぎるのだ。


さて、本題のサブカルが以下の様に言う場面である。

サブカルのセリフ(声)は以下だ。
「(薫がさらわれたのは)俺(の考えの甘さ故の)の責任だ、すまん。」
これは単にサブカルの無計画さにおける自戒のセリフだけではない。

これの本当のセリフ(声)はこうだ。
「(打ち切りが決定したのは)俺(作者)の責任だ、すまん」
どう考えても応援してくれている人々に対する作者の懺悔を表している。

そしてその後のセリフも注目である。
作中最後の
「ブッ殺す、以上」

サブカルの今回の行動はこうだ。
来たる状況が目の前の予想される将来には眼をつむり、いざ坊主がさらわれたら一言謝ってようやく動き出す。憂さ晴らしに言うことがブッ殺す。

一連のセリフや行動は、作者自身の仕事や批評批判に対する態度・耐性の無さが投影されている。

作者の今回の連載行動はこうだ。
設定の甘い作り込みにオリジナリティのないストーリー展開、このクオリティのまま世に出せば、前作の様に打ち切りが待っているにもかかわらず、何の対策もせずにただ掲載し、自作品の批評に対しては誹謗中傷と判断して、批評の詳細や要素には目を向けない。
そして現実にそびえ立つ打ち切りという「結果」は受け入れざるを得ず、「自分の実力がなかった」とただ謝り、うずくまる。
文句を言われて冷静でいられなくなってしまい、漫画内で復讐してしまう。

これである。

<余談>
もはや今更であるが、今後の注目点も指摘する。
物語的に問題なのは、サブカルと梵が倒すのが死霊ではなくて人間であるということだ。
サブカルは「ブッころす」と息巻いているが、果たして彼らは死霊ではなく人間を殺すということに躊躇なく対応できるのか?
…この辺も作者は何にも考えてなさそうだけど。


<まとめ>

作者の心の声が出過ぎである
作品で心の声を出しても許されるのは、幽遊白書の時の冨樫義博位である。
やるなら、あれくらいの人気になってからだ
、お前はまだ早い。

打ち切り作品とは言え誇りをもって掲載すべし。

「これは、お前が始めた物語だろ」(『進撃の巨人』)
というやつである。


この作品を楽しみにしている読者もいるということを作者は忘れてはいけない。
投げ出さずに終わりまで丁寧に書くべきだ。
それが後のノウハウに繋がるのだ。
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