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「極東ネクロマンス 」について(第5話・ネタバレあり)

ムームーサーバー
https://www.oninkun.com/back-issues-of-kyokuto-necromance
ムームーサーバー

前話までの感想はこちら↑↑↑↑↑↑↑
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<ストーリーと感想・分析>

死霊の分身を葬ったサブカル(天涅 耀司)だが、死霊は実は一体ではなかった。
ぞろぞろと出てくる死霊の分身たち。

サブカル(天涅 耀司)1人対死霊多数の構図は、この死霊は思ったよりも厄介だぞ感が出てて良かった。
どうなるんだろうというワクワク感があった。

場面は代わり、回想。
坊主(宇埜 薫)が空手をやってる写真を持ち出し、空手やってたから度胸あったのかと納得するサブカル(天涅 耀司)。
だが死霊を操るネクロマンシーという技術は精神の動きが関係すると断言するサブカル。
そして、C級以上の死霊との戦いは基本的にネクロマンシーを駆使する必要があるとのこと。

死霊が人質を取ってると言ってるのも関わらず、攻撃を仕掛けようとする坊主(宇埜 薫)。
坊主(宇埜 薫)の攻撃に対し、死霊は分身して自分の実体を分からなくして、逆に反撃する。
追い詰められる坊主(宇埜 薫)だが、耳を傾けるとシシが死霊の実体の場所を教えてくれる。
死霊を見つけて一撃入れる坊主(宇埜 薫)。
攻撃を食らって慌てて逃げる死霊。
だがそこでは「幽☆遊☆白書」の「鴉」っぽい出で立ちで、サブカル(天涅 耀司)とその手下のかわいい死霊(チタリ)が待ち構えていた。

手下の死霊を見て、「『血垂り(チタリ)』やん」と青ざめ、「そうすると小僧の傍にいた死霊は、シ…」と言いかけたところで、サブカル(天涅 耀司)より顔面がフリーザ様よろしく真っ二つになる死霊。

これまた「幽☆遊☆白書」の蔵馬みたいなそれっぽいカッコいいことを言って終わり。

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<感想・分析など>
ではここで、前話時点で予想した内容と今回の話および的中具合などを下記に記す。

「極東ネクロマンス」の第5話ないしは第5話以降の予想。
①死霊との臨戦態勢に入るも人質に取られて逡巡する坊主(宇埜 薫)。
→外れ。
そもそも人質の安全など頭にも入れないという、顧客サービス業的にも人間的にもまったく意味不明な行動となった。
②何とか状況を打開したかに見えたが、考えが甘く絶体絶命に。
→的中。
死霊が分身したので本物の死霊を見分けるため、人質を持ってる死霊を探すも人質達がおらず絶体絶命。
③そこへサブカル(天涅 耀司)が助けに入り、状況を打開するも死霊は逃げ出す。
→半分的中、半分外れ。
サブカル(天涅 耀司)はなく、シシが助けてくれた。
予想通りそれでは死霊は倒れずに逃げ出す。
④逃げ出した死霊を坊主(宇埜 薫)がシシ(ワンチャン新キャラおねーちゃんの可能性もある)が技を使い、始末。
→半分的中、半分外れ。
死霊の始末役はサブカル(天涅 耀司)だった。

予想の完全的中ではなく逆に安心した。

いや、ちゃんと見れば呪術廻戦の筋書きの各番号の
①以外の、
・絶体絶命(②)

・局面打開だが、死霊が逃げ出す(③)

・逃げた死霊が始末される(④)

というプロットの本質は全く同じなのだが。
まあ、ここはなんとか呪術廻戦の話の筋書きの内容を上手く入れ替えて作った作者のプライドに、拍手を送りたい。

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<疑問点>
一定の賛辞を送りつつ、ここでどうしても引っかかる点を挙げておく。
この漫画を読んでいるといくつも出てくる納得のいかない疑問点がある。それも1話ごとにいくつも出てくる。

例えば今話で言えば、

・疑問点その①
死霊が人質を2人取ってるにも関わらず、なぜ坊主(宇埜 薫)はシシを出して攻撃態勢に入ったのか?
またそれに対して死霊は黙って真っ当に小僧を襲ってきたのか?

人質を取られているのにも関わらず臨戦態勢を取るということは、その人質が害される可能性があるということを踏まえる必要がある。
もしこれを考慮に入れられず臨戦態勢を取ったというのなら、坊主(宇埜 薫)は高校生にしては少し(いや大分)思慮が浅はかなのではないか?

また死霊も死霊である。2人も人質を取ってるんだから、坊主(宇埜 薫)が変な真似をしたら、1人殺すなり痛めつけてブラフじゃないことを知らしめれば良いのにもかかわらず、普通に戦いに入る。
行動に矛盾がある。

・疑問点その②
死霊は分身を使って実体である人間に攻撃できたにもかかわらず、何故、分身ではなくわざわざ魂入りの本物が坊主(宇埜 薫)対峙したのか?

サブカル(天涅 耀司)を攻撃してきたことから分かるように、あの死霊はかなりの距離があっても分身を操れるのだから、分身使って人質取ってれば良かったのではないか?
「分身は喋れないから本物が人質を取った」という反論が出てきそうだが、別に喋れなくとも2人の人質の首に爪を掛けていれば、誰でもやってる行動の意味は分かる。
(例えば、呪術廻戦の第4話みたいに、呪いは喋れないが釘崎に対して人質を取ることで動きを封じようとした。またそれに応じて釘崎はちゃんと武器を捨てた。)


作中の行動や展開の一つ一つに対して上記の様な疑問点・違和感が出てこざるを得ず、それの積み重なりがこの漫画からリアリティを奪っている気がしてならない。
リアリティがない故に、話に臨場感がなくなる。
臨場感がない故に、話にのめり込めない。

要は、作品に対する設定や作り込みの甘さが露呈しているのだ。

こうなってくると、上記の疑問点①②に関しては、
死霊が人質を取ったのは、元ネタの「呪術廻戦」が人質を取っていたから。
死霊が人質を害さなかったのは、元ネタの「呪術廻戦」で人質が無事だったから。
近くにいたのが、人質を取った分身ではなく本物の死霊だったのは、元ネタの「呪術廻戦」で敵が釘崎と直接戦っていたから。

という風に、要は何も考えていないですよという解釈が生じてしまうのである。
作者の作品作りに対する思慮の浅はかさの露呈である。


なお、メタ的にはさらにいくつもの疑問が生じてくる。

・メタ的疑問その①
冒頭でサブカル相手に死霊が大量の分身を出してきた後の戦う描写を何故入れなかったのか?
冒頭で大量に出てきたときは、多勢に無勢で思ったよりも強敵だぞ感が出てきて、ワクワクした。
にもかかわらず、サブカル(天涅 耀司)の華麗な戦い様を描写もせずに、話の終わりにただジョジョ立ちで待ち構えさせてるって、これは一体何の演出なの?
サブカルのバトル描写をもっと丁寧に描かくことで加点がなされたでえあろうことを思うと非常に勿体ない。

・メタ的疑問その②
あと小僧の空手のエピソードはいるのか?
C級以上はネクロマンシーを使うというのを説明させるためだけに、あの回想を入れたのだろうか?
だとしたらコマの無駄遣いである。

・メタ的疑問その③
今回の話におねーちゃんが関わってこないなら前話で出す意味は一体何だったのか?
ただの綺麗所を入れたかったのか。
前話で出した恐らく主要である新キャラにすぐ活躍の場面を出さないのは意味不明。
前話で出す必要がない。

これらの演出は、詳細に描写すべきところを描写せず、どうでもいい所を子細に書いてしまっている気がしてならない。
本当にこのページは必要不可欠なのか?
もっと描写すべきところはあるのではないか?



さらに、ぱっと思いつくこの漫画全体の気になる違和感や疑問点、
・味方の死霊と、敵側の死霊を、なぜ「死霊」という呼び方で一括りにしているのか?
・2人の主人公の名前が読みにくいor覚えにくい。
などは挙げるとキリがないが、ここでは長くなるのとボコボコにしすぎてしまうので書かない。
次回また機会があるときに譲ろう。



この漫画を通して見えてくることは、設定や作り込みの甘さと、それに起因する演出のメリハリのなさという作者の弱点が、浮き彫りにされているということだ。
作者だけの問題ではない、この作品を一番最初に見ている編集者は何を考えてOKを出しているのか?
ちょっと作者が可哀そうに思えてくる。
これじゃあ、ただの打ち切り候補だろ。

作者の画力が一定以上なだけに非常に惜しく感じる。
画力がイケてる分、いっそのこと全部自分でやるのは諦めて原作とかつけて、自分は作画に徹した方が上手くいく気がする。
自分で原作も作画もするなら、細かな設定や展開の無矛盾さを問われないようなタイプの漫画にするとかもありだと思う。
そういう方が向いてそう。


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